うちはひとりっ子。
息子が第一子なので、複数のママ友との付き合いが始まったのは保育園からでした。上の子がいるママは知り合いも多く、地域のことにも詳しいですよね。
入園したての頃は、ママ友との付き合いの距離感が分からず、会話に気疲れし、気後れもし。そんな自分に嫌気がさしていました。
オープンになること
しかし、卒園する頃には、悩みを相談したり、愚痴や弱音を吐けば喜びも共感したりする自然な付き合いになっていました。
どんなことでも言えることですが、お互いの気心なんかは時間が作ってくれるものだと感じます。
保育園に入園した頃はまだ気持ちもオープンではなくて、自分自身が周りに壁を作っていたんだと思います。
私の場合、どこかで息子の難聴のことが引っかかっていたのもあります。
迷惑かけてないかな
聞こえなくて無視してないかな
耳が聞こえなくて大丈夫って思われていないかな
これも時間という魔法の薬のおかげです。
特に障害や特性がある子が集団生活をおくり始める前には、親として心配と同時に、周りに対しても気を遣ってしまうのかもしれません。
違う障害を持つ子のママも、私と同じように話していました。
もし、そのように思う方がいたら、急には状況は変わらないかもしれませんが、周りに話していくうちに壁はなくなります。ほとんどは温かい目で見守ってくれますよ。
障害をことさら強調はしていませんが、騒がしいところでは聞こえにくいことや後ろから話しかけられると気づかないことを周りに話していました。
私もみんなと仲良くできている訳ではありませんし、どうしても苦手な人はいます。近づかないようにしたり、波風立てず付き合う努力をしたり、挨拶くらいの付き合いだったりもあります。
でも、理解あるママ友がいることは心強く思いました。伝達ゲームの時にはさらっと息子を一番先頭にしてくれたり、かくれんぼで声の方向が分からない息子に微笑んでくれたり。
子どもは親の気持ちなんて知りえませんが、親同士のつながりは子どもにも返ってきます。見守ってくれる大人が増えることは、わが子にとってあいがたいことだと思います。
子どもにも
また、私は息子の同級生や知り合いの子には学校や近所で会った時は必ず声をかけています。おかげでよく声をかけられます。
子どもに顔を売るのも案外大事だと思います。
息子もうちに帰ってきて、「さっき○○くんのお母さんに会ったよ」とよく話してくれます。それでさ、と話は続きます。
きっと私が話しかけたお子さんもうちで同じような会話をしていることでしょう。
なんでもないことですが、こうして人とつながっていくのだと思います。
聴覚障害は見えない障害といわれます。二次障害として、コミュニケーション障害をもたらすこともあります。
聞こえないことは治すことはできませんが、二次障害は防ぐことができるともいえます。
こうした幼少期の過ごし方が息子の将来にいかされることを心の中で願っています。
話は飛びますが、
難聴がわかった頃の自分の体験を話したり、他のママからの体験を聞いたりすると以前は涙をこらえていたのですが、今ではそんなに感情が高ぶることもなく話せるようになりました。
これも時間なんだなと感じます。
私自身がようやく息子の障害受容をできたということだと思います。
遅いか、早いか分かりませんが、これも人それぞれなんでしょうね。
共通するのは子どもの障害受容はそんなに容易ではないということではないでしょうか。
最後までお読みくださりありがとうございました。
マナーと敬語
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