おれの耳ってさ、イヤーモールドはめるだけで役に立ってないよね
と、息子。
突然の話に一瞬驚く私でしたが、息子の言い方は悲観ではなく、思いついたという感じのものでした。
人工内耳は、「プロセッサーが音を拾い、送信コイルから体内のインプラントに音情報を伝達している」という意味では確かに耳を使ってはいませんね。
息子はそのことを言っているのだと思いました。
でも、外観でみえる部分と鼓膜だけを「耳」と捉えれば、息子の言うとおりですが、聞こえる人も「耳」だけでは聞こえません。鼓膜に伝わった音がそのままダイレクトに脳に伝わるわけではありませんからね。
鼓膜、中耳、内耳、聴神経へと伝わり、脳で音として認識します。
人工内耳はこのうち内耳の機能(蝸牛)の働きを担い、鼓膜と中耳以外の耳の役割はちゃんとあります。
息子はまだ聴こえの仕組みまではよく分かっていないので出た言葉かなと思い、聴こえの伝達について説明しました。そして、体内にどんな機械(インプラント)がどこに埋め込まれているのか話をしました。
手術を受けたのは1歳半と3歳5か月。
セカンドの手術の前は息子に絵をかいてどんな手術をするのかを説明しましたが、手術の記憶は全くないそうです。
よく分からないうちに終わってよかった。今だと怖い。
と言いました。
それは素直な感想だと思います。
小学生で人工内耳手術を自分の意志で決意したという話も聞きますが、自分の息子がその歳になって分かりましたが、すごく勇気のあることだと感じました。
でも子どもに限らず、成人の方も同じですね。
音の世界。音は人とのつながりをもたらすものです。
手術で聞こえる可能性があるなら。希望をもって明るい未来を描きますね。
音の世界を知っていた人ほど、その思いが強いと思います。
親の想い
わが家は手術を決めたのは私たち親です。息子は1歳でした。
親が勝手に決めるなんて親のエゴということも言われますね。
そういう考えも確かにできます。聞こえないままを受け止められなかったという意味において。
一方で、もし受けないという選択をしたならば、その「受けない選択」も息子が選んでいないという点では同じではないのかと思うのです。
音の世界への扉が開かれないという意味において。
しかしどちらの選択も親が子どもの幸せを願って一生懸命に悩んで決めたことであることは同じではないかと思います。
どんな生き方をしても幸せに勝るものはありません。
子どもに寄り添って決めた親の覚悟の選択は、正解もなければ、間違いもないと思います。
親も初めてなら子どもと一緒に成長すればいいだけのこと。
笑顔あふれる穏やかな毎日。
ばかりとはいきませんが(笑)
そんな家庭であれば、子どもはきっと幸せだろうなって思います。
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