息子の難聴が分かってから、難聴の赤ちゃんの情報をネットで調べました。
当時はまだ情報が乏しかったものの、先天性の難聴のお子さんの成長を綴られたHPをいくつか見つけることができました。
その中には、補聴器や人工内耳をして地元の小学校に通っているお子さんや、トリリンガルの人工内耳のお子さんの情報もありました。
人工内耳手術については何も決まっていない時期でしたが、随分勇気づけられました。
その頃私は手話教室にも通っていたのですが、聾学校の関係者の方がいらして、
「人工内耳手術をしても手話なしで話せる子はいない」
と言われたのです。だから、手話を教えてあげてね、と。
「話せる子はいない」というのは私の知り得た限りの情報と違っていたので、「聾学校にはいない」ということだと解釈しました。
また、わが家がお世話になるであろう地元の聾学校は、人工内耳に対して否定的な考えであるというのを当時複数耳にしていたので(あくまで当時の話です。現在の話ではありません)、コンタクトを取ろうか迷っていた頃でした。
仮に人工内耳手術をする決断をしたら、、、
- それを応援してくれる体制はあるのか
- 医療機関と連携してもらえるのか
- 人工内耳の特徴を理解した音声言語の獲得を促してくれるのか
この三つを掲げた場合、全て否でした。
地元の聾学校ではわが家が描く療育はできないだろうと判断し、聾学校へは行かない決断をしました。親の居心地が悪くては息子にもいい影響はないと思ったのもあります。
また、手話教室へ通って気付いたことがありました。
手話を息子の母語として育てるには、私の手話力では到底間に合わないということです。
おいしいね、たのしいね、なんていう簡単な手話やベビーサインレベルの話ではありません。果たして私の拙い手話表現で豊かな話しかけができるのか。息子は手話を獲得できるのか。将来親子で会話ができるのか。
こんなことからも、手話を息子の母語とするには相当の覚悟と決意がいることを感じました。
私の逃げかもしれませんが、、、
息子に声が届いているかはまだ分からないけれど、補聴器(もしくは人工内耳)に賭けてみよう。私の母語である日本語(音声言語)で息子に語りかけてみよう!聞こえているなら、きっといつか話せるようになるはず!!!
それでダメだったら、手話を親子で習得しよう。がんばってみようと考えました。
いったん手話母語計画は停止しました。
聾学校を諦めたことで拠り所となる療育の先生も方針も何も見つかっていない状態でしたが、ネットの中の会ったこともない難聴児に息子の未来を重ねてみるとなんだか勇気が湧きました。