人工内耳(手術)をして、聞こえて話せるようになっても難聴であることには変わりません
聞こえる子と同じようには聞こえない。
聞き漏らしたり、聞こえなかったり、時には聞こえていないことにも気づけなかったりします。特に、不意に話しかけられると気づきません。
集団生活では周囲方々の理解が不可欠だと思います。
幸いなことにご縁があった方々は理解があり、保育園の入園や習い事の入会など、
わが家は「難聴だから・・・」、「人工内耳だから・・・」
ということを理由に参加できなかったり、断られたりという経験はありません。(今後は分かりませんが)
ピアノやバレエ、野球やサッカーをしているお子さんも多いですね。
人工内耳で空手や剣道をしていたという方とも会ったことがあります。(こうなると相手の方の理解だけでなく、自己責任や覚悟も伴ってくるかと思いますが)
「難聴だから・・・」、「人工内耳だから・・・」を理由としては、できないことなんてないんじゃないかとさえ思えてきます。
集団生活の行事でも同じことがいえると思います。
わが家に関していうと、家庭のフォローがほとんどない中で、保育園や小学校の限られた練習の中でよくやったと思うこともあります。
保育園の演奏会でしたが、ハンドベルに関しては息子は3つのベルを担当しました。
決まったパートを聞いた時、とても息子では無理だと私は思いました。でも、先生が任せてくださいとおっしゃてくださり、やってみるのもいいかもしれないと気持ちが変わりました。
他のパートとの兼ね合いもあり、拍子をとりタイミングを合わせるのは困難だったと想像します。(普段は歌をひとりで歌うと早くなる傾向があります)
担任の先生の指導まかせで私はドキドキの本番を迎えましたが、タイミングはばっちりでした。自信をもって演奏している息子の様子をみて、こんなこともできるようになったのかとひとり胸が熱くなったものです。
一方で、「難聴だけどこんなことができてすごい」という目で見たくない自分がいました。
社会の中でみんなと共にやっていくという気持ちがあります。
でも実際は、難聴だけどよく頑張ったと息子を見ている自分もいて。
矛盾する気持ちに悩むこともありました。
難聴だから、、、
難聴だけど、、、
どちらも混在する複雑な親の心。
でも改めて考えると、
難聴だからできない。(人工内耳だからできない)
難聴だけどがんばる。
どちらもやっぱりありだと思います。
そして、これまでは親の判断で決めてきましたが、これからは息子がどうしたいかが大切だと思うと、気が軽くなりました。
もう思い悩まず、柔軟でいいのかもしれないと思う今日この頃です。
クリスマスに☆