こんにちは。
いつも読んでくださりありがとうございます。
コメント欄は設けていないのでどんな方が読んでくださっているのか分からないのですが、日本だけでなくアジアや北米、ヨーロッパの様々な国からもアクセスがあるようで驚いています。
海外在住の日本の方がそれだけ多いのだと思いますが、同時にお子さんの難聴や療育についての情報を求めている方が海外にも多くいらっしゃるということなのでしょうね。
こんな拙い記事を読んでいただいて大変恐縮しております。
ただ、私は医師でもなく、言語聴覚士でもなく、ましてオーディオロジストでもなく、たった一人の難聴児(現在8歳)を育てるただの母ですので(;’∀’)
言語聴覚士の先生の言語訓練は受けていましたが、自分なりのやり方で思考錯誤しながら療育してきた部分も多く自己流です。当てはまる人ばかりではないと思います。
そのため療育の一例としてご覧いただければ幸いです<(_ _)>
簡単にまとめるとわが家の療育は、(補聴して会話域に装用閾値があったため)言語習得期は「聴く」ことが非常に大切な要素だと思い、声かけを重視してきました。
療育は、9割が日常の声かけ(音声のみ)、1割が絵本でした。絵日記や絵カードは補助的な活用だったので、声かけと絵本で言葉育てをしてきたといっても過言ではないと思っています。
以下は発語をカウントしたグラフです。
ざっくりですが、息子の場合、上記の発語の数と言語発達はこんな相関がありました。
発語100語、ここまでくるのに人工内耳を装用して9か月かかりました。年齢にして2歳3か月でした。この月を境に発語がぐんと増えました。
発語300語で日常会話はだいたい通じるようになりました。このあと二語文が出ました。
500語で三語文。
600語で助詞がつき始めました。最初は「と」でした。
800語で疑問詞「どこ」「だれ」「なに」が多くなりました。
1000語過ぎたあたりから、会話っぽい口調に変化しました。「どうして」「なんで」「どうやって」の質問がこのあたりから増えてきました。
年少入園時(3歳6か月)の発語は1500語ありました。多語文で会話することができていました。発音は良くありませんが、子どもと話し慣れている保育園の先生や同級生のママとは通じました。
これから少しずつ、これまでの療育の内容を「お耳の成長記録」に書き進めていきたいと思っています。
さて、ワードプレスの統計情報では上記の国情報の他に、どんな「検索ワード」で訪問していただいているのかも分かります。
- 人工内耳
- 補聴器
- インテグレーション
- 難聴 赤ちゃん
- 難聴児 配慮
- トレーニング
- 聴覚障害
- スイミング
- コクレア
- N7
- ロジャー
などのワードが多くみられます。
また、
- 難聴の赤ちゃんは声をださない
- 赤ちゃん 聴力 だんだん聞こえる
- 難聴の診断を受けたら
- 赤ちゃん 難聴 どうやったら分かる
- 新生児 耳 聞こえる
このような検索ワードで訪問してくださる方もいるようです。
難聴が分かって間もない方だと思います。その方の気持ちを思うと、自分の当時の記憶がよみがえり胸の奥が締め付けられるような気持ちがします。
難聴だと告げられた赤ちゃんが聴力回復したという例がないか
難聴の赤ちゃんの特徴はどんなことがあるのか…
少しでもいい例がないかと、探していました。
それから少し経つと、
もし難聴だとしたらどうしたらいいのだろうか
どんな子育てをしたらいいのか
どんなふうに育っていくのか…
を探していたと記憶しています。
その時の私が今自分が綴る記事を読んだら、どう思うかなということを常々考えています。
難聴児の子育ても楽しそう
療育ってこんなことをするんだ
難しくなさそう
こんな療育ならやれるかもしれない
そんなふうに思ってくれたらいいな。明るい未来を描いてくれたらいいなと。
こんなわが家の療育が、どこかの誰かに届いていることを願っています。
ちなみに、息子は補聴器装用しても効果がないほどの重度難聴ですが、赤ちゃんのころから声は出ていました。そんなにひどく泣く子でもありませんでした。
「難聴の赤ちゃんは、声を出さない、よく泣く」
と聞いていましたが、全て当てはまりませんでしたね。体を反ることもうちはなかったです。周りの友達に聞いても、結構そういう人います。
聞こえない難聴の赤ちゃんだからというより、その子その子の性格じゃないでしょうか。聞こえないから不安で泣くというのは、大人が考えた後付けの理由な気がしてしまいます。
気を付けていたことは、息子が声を出した時や笑った時に、必ず答えるようにしていました。
声を出したら家事の合間でも中断して、顔を見せてあげるようにしました。また、どうしても手が離せない時は、私が見える位置に寝かせて置いて、声を発するたびに手を振っていました。
それが功を奏したか分かりませんが、7か月くらいから自分から手を振るようになり、こちらが振り返すと喜ぶようになりました(*‘∀‘)
実はこれ、こちらの本「幼稚園では遅すぎる―人生は三歳までにつくられる!」に書いてあったことを実践したものです。
著者の井深さんは、ソニー創設者の1人ですが、幼児教育に造詣が深く、著書が多くあります。この本には赤ちゅんの環境作りの大切さが書かれています。
「刺激のない部屋は赤ん坊にとって有害である」
「赤ん坊には見えるものを与えるのではなく、見える場所を与えよ」
など、乳児期の過ごし方の参考にしていました。
タイトル『幼稚園では遅すぎるー人生は三歳までにつくられる!』からは、難聴児の育児とは関係ないように思えますが、私が一番感銘を受けた育児書でした。
その中で、
「ビジョンを持たない母親に子どもの教育はできない」
とありました。
この言葉に身の引き締まる思いがしたものでした。
難聴でこの先どうなるか分からないけれど、「3歳までに」私がしてあげられることは惜しみなく息子にあげたいと思ったのは、これがきっかけでした。
ところで、「検索ワード」の中に、
- 小学生 療育
というのが多くあります。
小学校の入学と同時にたいていの療育機関は卒業というところが多いので、小学生の療育事情が気になるのでしょうね。私もです(笑)
わが家の場合、学校の勉強が始まり療育どころではなくなってしまいました。しかし、まだ語彙力や説明力などに時々不安を感じ、手放しに療育卒業というわけにもいかないという感じです。
今は特別なことはしていないのですが、小さい頃からの名残で声かけ療育は続いています。
日常生活や学校での出来事や授業から話を広げたりなどです。
長くなりそうなので、次回の記事に最近の声かけ療育(小学生編)をまとめてみようと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
まだラキュー (LaQ)で遊んでます(^^)
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