難聴赤ちゃんの子育て
言葉育ては家庭にあり
自己紹介

【自己紹介】(1)聞こえない

新スクで難聴が発覚


はじめまして。ご訪問ありがとうございます。

小学校二年生の男の子の母です

わが家の待望の第一子として生まれた息子は、産後すぐに難聴が発覚しました。

退院前日に「お子さんは耳が聞こえない可能性があります」と医師から告げられました。元気で生まれたものとばかり思っていたのに、なんで聞こえないの?間違いじゃないの?と突然の話に信じられませんでした。

そんな私に、「まだ確定ではありません。2か月後に再検査をしましょう。そしてもし難聴だとしても、早く分かることはお子さんの発達にはとても大事なことなのですよ」と医師は話されました。「難聴の早期発見の意義」今ではその言葉の意味を理解できますが、当時はそんな話など耳に入るはずもなく、出産を喜ぶ気持ちが吹っ飛び、苦しくて涙が溢れました。

この子の将来は一体どうなるのか、聞こえない子をどうやって育てたらいいのか、話せるようになるのか、手話を教えないといけないのか…。将来の不安に押しつぶされる日々でした。聞こえない世界がどんな世界なのか想像も及ばなかったからだと思います。

そして2か月後に受けた聴力検査(ABR)によって、重度難聴であることが確定しました。補聴器をつけたのは7か月の時でした。やっと一歩が踏み出せた!と期待を胸に療育を始めました。息子の小さい耳に補聴器をつけて話しかけ、子守歌を歌い、近所を散歩して、いろんな音を聞く時間を大切にしてきました。しかし、息子は呼びかけに振り向きません。太鼓の音にも反応しません。まるで音の存在すら気づいていない様子でした。実際補聴器を装用して半年後の検査でもスケールアウト。補聴器を装用しても音は全く聞こえていないことが分かりました。

親としていろいろな希望がありました。

生活音に気づかせてあげたい。

たくさん絵本を読んであげたい。

音楽を楽しませてあげたい。

その中でも一番の望みは、「息子とたくさんおしゃべりしたい!」でした。

この結果を受けて、私たちは人工内耳手術を受けることを検討し始めました。

 

人工内耳手術へ


子どもが自分で判断できない時期に受ける手術。一生、頭の中に埋め込まれたインプラントと付き合うのは息子自身です。では、息子の意思が伴うまで待つべきなのか。でも今の時期を逃すと息子ほどの重度難聴では人工内耳の装用効果を引き出すのが難しくなります。それは、音が聞こえることと、言葉を理解することは別だということです

言葉を知らない赤ちゃんです。聞こえた音を言葉として理解して話すまでには時間がかかります。そして音声による言語獲得には臨界期があることを知りました。早く音を、声を聞かせてあげたい。将来、息子に聞こえてよかったと言ってもらえることを信じ、夫と何度も話し合い重ね決断しました

息子が一歳半になった次の日、人工内耳手術を受けました。

そして、迎えた音入れの日のことです。音入れで泣く子もいれば、あまり反応しない子もいるし、やってみないとどんな反応するか分からないと聞いていましたが、音入れがはじまると徐々に息子の表情が変わり、何かの変化を感じて体の動きが止まりました。それからすごい勢いで泣き始め、抱っこを求めてきました。これが息子のはじめて音を聞いた瞬間でした。私は涙が溢れました。うれしくて、うれしくて。驚いて泣いている息子をしっかり抱きしめました。

音入れ直後のマップは、楽器の音の反応を見ながら、泣かない程度の聞こえる位置を探ってくださいました。聞こえているのか聞こえていないのか私には分かりにくいものでしたが、その日から少しずつ息子は生活音に反応するようになったのでした。

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nanchou-akachan
難聴児の母親です。