難聴赤ちゃんの子育て
言葉育ては家庭にあり
自己紹介

【自己紹介】(2)聞こえる子

聞こえたよ


それから始まった療育は思考錯誤の連続でした。まずは音への気づきを促していきました。

家の中での生活音は、音がなるタイミングが分かりやすいので、その音の出どころと音とを一致させながら、例えばインターフォンの呼び出し音なら、「ピンポーンって聞こえたね、パパが帰ってきたのかな」というように、一つ一つ働きかけていきました。

トースターのじりじりという音、レンジのチンという音、壁時計の時報メロディの音、手を洗う時の水の音、トイレの水を流す音、掃除機の音、携帯の呼び出し音など。

それから、息子のする動作、私の動作に言葉を乗せていきました。特に、オノマトペをたくさん使うように意識しました。例えば、拍手の動作にぱちぱち。歩く動作にてくてく。遊び終わったらないない(おかたづけ)しようね。ちゃんこ(おすわり)して食べようね。ワンワンかわいいね。

また、気持ちを言葉にしました。おいしいね。大事だね。かわいいね。やさしいね。痛いね。こわいね。暑いね。寒いね。冷たいね。あったかいね。

装用して半年くらいたつと、音が聞こえている実感は確実のものとなりました。生活音や外の環境音にも息子はよく気づくようになってきました。

 

オーディトリーバーバル


しかし、いっこうに発語が増えません。音が聞こえるのだから言葉も聞こえているはずなのに、どうしてだろうと悩みました。毎日声かけするものの、頑張りすぎて疲れてしまったり、不安で落ち込んでしまったりすることがよくありました。息子の発語がないのは自分の話しかけが足りないせいなのかと悩んだりもしました。

そんなとき参加したオーディトリーバーバルセラピーの先生が講演で投げかけられた言葉に、はっとしました。「お子さんが聞こえていると思って話しかけていますか?」必死に話しかけるのではなく、伝わるものと思って話していますかと。

私自身が息子を「聞こえない子」と思って話しかけていたことに気づきました。

それから家庭では「聞こえる子」と思って、話しかけるようにしました。

自分の気持ちの持ち方を変えただけでしたが、それからは声かけが義務のような苦しいものではなくなり、息子とのコミュニケーションとして楽しくできるようになりました。

その気持ちの変化があって、人工内耳装用9か月目、一気に発語が増えました。言葉が届いていると実感したこの月のことは今でもよく覚えています。息子は2歳3か月でした。自分の人工内耳の耳をポンポンとさわって、「だいじ」と言いました。この日のことは忘れられません。

 

入園に向けて


しかしながら、言葉を覚え始めたといっても、まだ日常会話を理解できるレベルではありません。周りの子はどんどん二語文三語文を話すようになって焦りしかありませんでした。そこで、ここから保育園に入園するまでの一年半は、日常会話ができるようになることを目標にしました。息子が理解した言葉を私が使い続けないことを特に心がけてきました。

例えば、息子がブーブーという車を表す言葉を使うようになれば、次はブーブーではなく車という言葉を私が使って聞かせました。そして、息子から車という発語が出てきたら、今度は自動車、乗用車という言葉を使って聞かせるように、徐々に同じ意味を表す言葉をステップアップさせていきました。

また、外を歩いているときにパトカーの音が聞こえてきたら、まずは「何の音?」「どこから聞こえるのかな?」と音の気づきをあげました。

「ピーポーピーポーって聞こえるね。パトカーだね」

「パトカーにはだれが乗っているのかな?」

「そうだね、おまわりさんだね。悪い人も乗せられているのかな?」

「でもおまわりさんは制服を着ているからすぐ分かるね」

「どこに行くのかな?これから交番かな?警察署に行くのかな?」

というように、息子のつたない返事をいれつつ、いろんな言葉をちりばめて会話を作っていきました。話しかけて、息子の返事を待つ。返事がなくても、相槌をいれてまた話しかけてというように、会話風に話していたように思います。

 

それと合わせて、言葉のネットワークを広げられるように概念や認知面を底上げしていきました。乗り物には何がある?働く車にはどんな車がある?というカテゴリーの概念や、色、形、大きさ、速さ、深さ、多さ、厚さ、広さ、前後左右などの概念、そして、数、性別、歳、体の名称、時間、曜日、季節の行事の知識などを増やしていくことを試みました。

また、写真日記を作ることで、その場で覚えきらなかった言葉をあとで振り返って言葉にできるようにしました。できるだけおでかけ日記にならないように、普段のことを取り上げて日常生活の言葉を優先しました。息子はそれを開いて、平日の日のことをパパに説明するようになりました。写真日記から絵日記に変わったのは保育園に入園してからです。そして、年長からは自分でも描くようになり、今も日記は続いています。

そして、療育という子育ての中で一番続いているのが絵本の読み聞かせです。人工内耳を装用してすぐの頃は絵本を開いても全く聞いてくれませんでした。しかし、毎晩寝る前に続けているうちにそれが日課になり、いつしかちゃんと聞いてくれるようになりました。初めは同じ本を繰り返し読んでほしがりましたが、少し大きくなってくるといろんな絵本を読んでほしがるようになりました。絵本を読んでいるとき、私も幸せな気持ちになりました。図書館で片っぱしから借り、また子育てサロンなどの読み聞かせに足を運び、息子の聞こえを確認したりもしました。その様子をみて、これなら集団生活が送れるかもしれないと保育園入園の決め手にもなったことを覚えています。

そのうちに息子と会話がかみ合ってくるようになり、いつしか「息子とおしゃべりしたい!」という夢がかなっていました。3歳6か月でした。

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nanchou-akachan
難聴児の母親です。