※補聴器を装用しても音の反応が全くなかった息子。2012年3月に人工内耳手術をしました。
『お耳の成長記録』として、人工内耳を装用してからの息子の様子、聴こえの変化、ことばの表出記録などを、当時のメモをもとに過去を振り返って綴っています。
まとめはこちら>>>『お耳の成長記録』
10回目のマッピング
音入れ後は、ほぼ毎週マッピングに行っていました。様子を見てマッピングはしないこともありましたが、疑問に感じたこと心配なことなどSTの先生が話を聞いてくれて、私自身が安心できました。
これで10回目のマッピングになりました。1時間のうち、30分はSTの先生と談話。マッピングの時間は30分しか取れず、5電極分のマップを変更しただけで終わりました。
STの先生は、難聴児が健聴児に追いつけるのは最短で2年。しかし人工内耳の子が3歳の時点で健聴の3歳児に追いつくのはかなり難しいという印象のようです。やはり(人工内耳装用前の)補聴器をつけていた時にどれだけ聞こえていたかでも違うようです。おしゃべりはできるようにはなっているけれど、話し方理解力など諸々含めて健聴の3歳児にはなかなか届かないようです。
補聴器では音が聞こえていなかった息子は最短の2年には入らないんだなと感じました。
2年で追いつくつもりで頑張ればそこそこいけるんじゃないかと思っていましたが、目標が高すぎたようでした。
この頃は気ばかり焦っていましたね。
息子と同じ1歳半で人工内耳手術を受けて、ちょうど3歳になったというお子さんに会ったことがありました。おしゃべりも上手にできて、ひらがなが読めて、歌も歌えるようでした。こんな優秀な子に出会ってしまったものだから、ついつい欲が出てしまいました。
結局のところ、どんな成長も個人差があるから、個々の優秀なケースに注目しても意味はないってことですね。
丁寧に言葉がけをして、息子なりのペースで成長を促していく。
療育に近道はないと改めて思った日でした。
出会い
ろう学校に通わない選択をしたわが家。
わが家が望む療育をしてくれる先生をずっと探していました。家庭療育をするにしても、テクニックとアドバイスをしてくださる先生の存在が不可欠でした。
そして、いろんなご縁から、ようやくオーディトリーバーバルで指導できる先生と出会えたのがこの頃でした。
これまでの検査記録や音入れ後の反応の推移をまとめたものを持参しました。
そして初日、息子の様子を見てもらいました。
上からボールを入れるとくるくる回転しながら落ちてくるあの定番のおもちゃで先生と遊びました。遊んでいる息子の反応を見て、
「ここ(上部の穴)と私が指を差した動きではなくて、いいよって言う声を聞いてからボールを入れてますね」
と言われました。短い間に観察されていて驚きました。
言われてみれば、勝手にボールを入れずに、いいよという声かけの後にボールを入れていました。
私はそんな視点で息子の行動を観察できなかったので、小さなことでしたがハッとさせられました。
最後に、
「大丈夫。すぐに追いつきますよ」
と言ってくださり、本当にこれほど嬉しい言葉はありませんでした。
そして言われたのが、
「ここで勉強するのはママであって、覚えた内容を家ですることがトレーニングだよ」
と。
療育は家庭にあり
言語訓練や療育施設に通うことが療育ではない。
ここで学んだこと、先生から教えてもらったことを、私がうちで実践することが療育なんだ。
これまでのモヤモヤがようやく晴れた瞬間でした。
実はまだ療育施設に通わないことに迷いがあったのですが、これで心が決まりました。
息子が生まれてからいろんな方に出会い、助けられ励まされてきましたが、この先生との出会いはその中でも特別なものでした。息子の人生だけでなく、私にとっても大きな灯となりました。
人工内耳を装用して13週間目の気づき
- 身振りなし音声だけでアクションがあった言葉
ブーブー
- 気付いた生活音(家の中)
家の中の音は、だいたい判別ができてるようになった。例えば、電子レンジの音がすると聞こえたよのポーズをしてキッチンの方を指すなど、どの音がどこからするのか音源を覚えたように感じた。
- 環境音や屋外での反応
屋外のバイクの音に初めて気づいて、聞こえたよと教えてくれた。
- 発語は何もなし
- 発声は変化なし
- まとめ
「ぶーぶーで行くよ」と言うと、駐車場に向かって歩いた。ぶーぶーが車だと理解したようでした。
まずは、丁寧に。そして、気長に言葉かけしていきましょう。
先生と遊んだおもちゃ