以前、人工内耳を装用する3歳の女の子のお母さんにお会いしました。話せるようになってほしい。もう片側も人工内耳手術をするかどうかをお悩みでした。
そのお母さん、娘さんの目の前で一生懸命に手話をしながら話しかけていました。
「手話がメインなんですか?」と聞くと、
お母さんは、「手話をつけないとこの子言葉が理解できないんです」と言われました。娘さんも手話で返事をしていました。
相当手話を学ばれたのだろうということは見てすぐに分かりました。一生懸命コミュニケーションを取ろうとしていることも。
でも、目の前の距離なら娘さんにも聞こえるはずです。手話で理解させようとしているからなかなか言葉が入っていかないのではと思わずにはいられませんでした。
もし人工内耳で装用閾値が会話域にない場合、マップや聴こえの機能に問題がある可能性もあります。しかし、娘さんは術後1年以上がたち、30dBくらいは聞こえているとおっしゃっていました。
聞こえないと思うとつい身振り手振りを多用したり、手話を使ってコミュニケーションをとりたくなります。私もそうだったので、お気持ちはすごくよく分かりました。
だんだん子どもの自我が強くなってくると言葉が通じないもどかしさが大きくなり、お互い意思疎通を図るには言葉より手話のが手っ取り早くもなるでしょう。
でも、だからといってそれではせっかく声が聞こえるお耳を手に入れたのにもったいない。このままでは音として声が聞こえていても、言葉が意味を持つ音だと理解するまでに相当かかるのではないかと感じました。
なんとしても話せるようになってほしいなら、すべきことは明白です。
「聴く時間」を作ってあげないと。
手話は見て使って覚えるように、言葉は聞いて話して覚えます。
聴く時間が十分にないと、いつまでたっても聞き貯める言葉が満ちてきません。発語はその先です。
おうちでは聞こえる子と思って話しかけてあげていますか?
手話から口話へ移行したお友達もたくさんいますが、皆さんそのうち口話ができるようになると思って楽観していたのではなく、インテの時期などリミットつけて、少しずつ口話に切り替えていますよね。
また、近頃では早期に補聴したお子さんの場合、最初から手話なしで音声だけで育ててみえますね。
ここで言いたいのは、手話がいらないという話ではありません。
手話は聴覚障害者にとって大切なコミュニケーション手段です。息子も最近手話を使う子と知り合ったのをきっかけに、指文字を覚え始めています。手話も使えるようになりたいと思う時がくるかもしれません。本人次第です。
今しかできないこと。聴覚の発達は今を逃すと取り戻しがきかないのですよ。聞いて話せる子になってほしいと子に思うなら、リミットがあることを忘れないでほしいです。
ある勉強会で医師から聞きました。
今より手術年齢が遅かった初期に人工内耳手術を受けた先天性難聴のお子さんたちも、人工内耳の装用閾値は出ていたそうです。しかし、なかなか言葉が育たない、話せないケースもあったそうです。5歳以降だと特にその傾向があったとか。聴覚を通じての言語習得の臨界期がこのあたりにあるということですと。
音や言葉が単に聞こえるということと、言葉を意味あるものと理解することとは違うということです。
先日、息子が8歳の誕生日を迎えました。
出産直後に分かった難聴。何も分からず不安で苦しくて途方にくれたことを思い出しました。
息子と話せるようになりたい。
必死でした。
ですが、1歳半で人工内耳手術をしてから、踏ん張りどころはそれからの3年だったと思います。4歳の誕生日までくらいでした。
それからは発音はまだまだ危ういものの、徐々に大人だけでなく友達とも会話が出来始めてきました。
現在は音声言葉というコミュニケーションは完成したのではないかと図々しくも思います。もちろん説明力やら語彙力やら課題は残っていますし、声かけも意識はしていますが、療育の終わりですね。
これからは難聴というより聴覚障害という認識をもって、息子の自立を促し、成長を見守っていきたいと思っています。